3社経験して分かった、譲れない仕事の条件

職業訓練校は、離職した社会人が新たな技術を学ぶことで、「仕事」ともう一度向き合う場所。これまでどんな職に就き、なぜ離れ、学びなおすことにしたのか。働くということを今どう感じているか。
さまざまな背景をもつ同級生に話を聞いてみました。
2回目は30代のKちゃんです。

「自分で考え、実践する」を貫く

職業訓練校の初日、自己紹介で「前の仕事やってて、私の人生、つまんねーなーと思ったので、辞めました」。そう退職理由を話したのが、30代のKちゃん。アルバイトで入った雑貨店で店長になったり、事務職なのに営業職を超える売り上げを記録したり、数々の武勇伝をもっています。「学校の近くのOKストアの弁当、300円台ですよ!」と耳より情報を教えてくれ、「クラスのみんないい仕事が見つかるといいなあ、本当にいい人ばっかりだから」としみじみ話す、心優しい人。「自分が何をしたいのか」と自問を続け、「好きなことを仕事にする喜び」を大切にしてきました。

初めての就職は「地元に貢献したい」と入社した食品加工業。ホッケーを長年続け、大学もスポーツ系の学部、就職もスポーツ用品店で内定をもらっていましたが、「周りの流れにのらず、ちゃんと考えたい」と4年になってから選び直し、事務職で入った会社でした。小さな会社で、催事場や展示会の売り場に一人で立つことも。会社で長年使われていたポップを「ダサい!なんでみんな疑問に思わないんだろう」と作りなおし、お客さんのニーズに合わせたレシピや売り方を考案し、売上はいつもナンバーワン。「自分で考えてやるって、めっちゃ楽しい。これを仕事にしよう」。

4年働いた職場を離れ、次に挑戦したのは、全国展開している雑貨店でした。アルバイト採用でしたが、半年で店長に抜擢され、2年後に社員に。考えたことを形にする売り場づくりは思っていた以上に楽しく、まさに「天職」。頑張った分、ちゃんと評価されることがうれしく、泣いたり笑ったりしながら、仲間と夢中で働きました。しかし、休みはなく、転勤は多く、携帯は鳴りっぱなし。働き詰めの日々で「時給で換算してみたら、10円くらいじゃないか」というほどでした。恋人と暮らし始めようとしたタイミングで岩手県への転勤を打診され、「今は、生活を優先したい」と6年目で退職を決めました。

「しばらくは無理のない働き方をしながら、やりたい仕事をさがそう」と選んだ3社目は、紹介派遣の事務職でした。ホワイト企業で、週二回はリモート勤務。残業もなく、人間関係も良好で、ストレスはありませんでしたが、「めっちゃつまんねえ人生」。前職で感じた「好きなことを仕事にする喜び」を忘れられませんでした。

訓練校で学んだことが武器に

迷いの中、光になったのは、インターネットで見つけた職業訓練校の告知でした。子どものころから絵を書くのが好きで、デザイン系の仕事を志したこともありましたが、illustratorやPhotoshopなどの専門ソフトは、美術系の学校を出た人でなければ使えない、と諦めていました。「訓練校で勉強できるんだ」「しかも無料じゃん」「お金(失業手当)もらいながら通えるの?」。すぐに職場に辞意を伝え、ハローワークに向かいました。

今ではIllustratorやPhotoshopも使えるようになり、「武器が一つ増えました」。就職活動ではデザインツールを使って、チラシやDMも作成できることを履歴書でアピール。企画職で応募した大手書店から、「デザインツールが使えるなら、やって欲しいことがある」と内定をもらいました。「学校で学んだ技術がなかったら、他の人に埋もれていたんじゃないかな」

異なる業種3社の経験を経て感じる「仕事の条件」は、「仕事をするときに、やりがいを感じられること」。ちゃんと評価される。仲間の成長を感じられる。自分で考えたことを実現できる…。「次の仕事は今までやってきたことを全部生かせると思う。天職だと感じた時を越えられるかも」。そう笑顔で話してくれました。「大好きな仕事を続けるためにも、無理のない働き方をしないとですね」とも付け足して。

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